福岡県山川町谷軒(平家谷)
2005年 説話文学会 研究発表 資料

福岡県山門郡山川町の平家谷

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平(平家の里)デーラと谷軒(平家の里)タンノキは,豊前街道をはさんで向かいあう。

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谷軒(平家の里)タンノキに住んでいた不思議な老婆の話です。
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谷軒(平家の里)タンノキに住んでいた不思議な老婆の話です。



谷軒周辺地図
YAHOO地図:大津山(松風)の関(平家・梶原関係図)

山川町松風の関(谷軒・桜峠)
2005年6月19日 日曜日 (名古屋大学)
研究発表(代表)
 仲井克己(帝京平成大学情報学部文化情報学科)
共同研究者
 東  竜雄  (福岡県山門郡 山川町教育委員会)
 加藤信一郎 (山川町歴史研究会)
 牛島寿人   (山川町教育委員会)
 築地原正英 (福岡県文化財保護指導委員)
 佐藤博樹  (帝京平成大学情報学部経営情報学科)

「谷軒タンノキ」の信仰と伝承


  • 山姥伝承

  •  「たんのきばあさん」(山姥)に関する言い伝え

  • 地蔵信仰
     「いっちょ願いのお地蔵様」に関する言い伝え

  • 山の神様

  • お牧山 金霊泉
      日照りの時には,頂上の金霊泉を清め,
      天高く烽火をあげた!

連絡は、office NAKAIへ

豊前街道:大津山(松風)の関  
安徳天皇が越えることのできなかった関  
山川町『平家物語』は,ここから始まった!

豊前街道:松風の関 研究発表の主要事項
大宰府まで落ち延びてきた安徳天皇が
ついに越えることのできなかった松風(大津山)の関を
お山の上からながめたら,どんな世界が見えてくるのでしょうか?

(1)大津山(松風)の関は,街道の関所であって
  すべての道の行き止まりではありません!
    山には山の,海には海の道があります。
   周辺には3本の山道があり,
   どの道も平家伝承で繋がっています。
  → 安徳天皇は北へ転進。
    しかし,九州在住の地侍たちは
    山道を越えて落ち延びていった?
    [風に靡く葦]

(2)道の文化
  山の道が,
  海の道や里の道などと
  どのように繋がり,
  地域の伝承や信仰と関わっていたのか,
  山川町(大津山の関の北側)を舞台に考えてみましょう。

(3)道の信仰
  道によって,<巡礼>という宗教文化が生まれる。
  今回の調査で問題となる信仰は,以下のとおり。
  ・天台:円仁(瀬高清水寺〜三池普光寺)
  ・阿蘇信仰(七霊社)
  ・白蛇信仰(松尾神社)
  ・北斗信仰(妙見信仰)

(4)山の信仰
 お牧山の文化的位置
 ・高良大社の聖なる海「鷹尾の海」のランドマーク(あて)
 ・筑後平野(里)にとって「日の出る山」
 ・筑後平野の水源のお山
 ・霊性を帯びた山(不思議な薬草・山姥)
 谷軒は,お山の頂上のすぐ近くの水源の谷に住む
 1〜2軒の集落。
 旱(ひでり)の時には,金霊泉を洗い清め,
 天高く煙をあげました!

松風の関:首切り地蔵

松風の関:首切り地蔵 (5)里と山の関係  ・お山は聖なる空間    飢饉の時の蕨掘り    戦いを逃れるために避難するところ  ・死者を祀る場所 (6)お山の信仰と秘儀   山の神様   たんのきばあさんの呪(非公開)
調査・研究チームの特色
加藤信一郎 :谷軒の長老
       お山の生活を最も詳しく知っているひとり。
牛島 寿人 :長年にわたって高校の教壇に立ち,
       現在も教育委員会の重鎮として
       郷土の文化に関して研究・講演をしている。
築地原正英 :日本建築の現場で仕事をしてきた豊富な経験をもとに,
       制作年代や大工の技量を計測。
       郷土史について,研究。
東 竜雄  :教育委員会文化財担当。
       山川町の古墳調査や民俗調査。
仲井 克己 :日本文学(説話・伝承),情報文化論などを研究。
       コーディネイター & 編集(HP・PowerPoint)などを担当。
佐藤 博樹 :ネットワークの構築と運用
       教育用デジタルコンテンツの制作

山川町谷軒の人たち
山の民として数百年を暮らしてきました

山川町谷軒の人々 成果【A:研究】
今回の調査で判明したことは以下のとおりである。
(1)谷軒(タンノキ)ばあさんの生没年は不明!
  昔,タンノキばあさんについて調べに来た人がいたので,
  本当のことを知られるとまずいと思って,
  わざと違う墓を指さした。
  それ以来,タンノキばあさんの生没年が誤ったまま流布。
(2)「藤原」と名のる人物が墓参りに来た。
  谷軒の古いお墓にお詣りをして帰っていった
  万里小路(藤原)藤房伝承と関係があるか?
(3)「もはや,存在しない」とされていた古いお地蔵様が祀られていた。
  山崩れにあったため,お顔が摩耗している!
(4)旱魃のときに,谷軒の住人は頂上の金霊泉を清めていた。
(5)旱魃のときに,お牧山の頂上で烽火をあげていた。
(6)もはや忘れられてしまった「山の道」を確認できた。
  それらの「山の道」は,それぞれの地域における平家落人伝承へと
  繋がっていた!
  ・「平」: 巡礼の道
  ・桜峠 :生活と信仰の道
  ・真弓 :京都風の地名が残る道
(7)「街道」「山の道」「海の道」などを通じて,
  伝承は相互補完的に存立。
(8)山川町や高田町の平家落人伝承は,
  阿蘇神社信仰圏の特徴を帯びている。
(9)お牧山の白蛇様(松尾神社) 頂上付近の岩場に祀られている。
(10)関所の向こう側の肥後側三加和町の平家伝承についても確認。
(11)平家谷が,【山と里の文化】の中で機能してきたことを確認。

山川町平家祭り
文化による町おこし
【境界の祭事】として文化的な意味をもつ
重盛は,荒尾市樺や玉名などで重要な役割を果たす

山川町平家祭り 成果【B:教育・行政】
(1)山川町教育委員会は,2000年春以降,平家祭りを開催
 この祭りは,<講演+イベント>である点に特徴がある。
  → 次世代の子供たちの,日本の文化に関する教育
 現在,山川町平家祭りは近隣でも有名な祭りに発展した。
(2)小学校や中学校さらに公民館などに,
 教育用デジタルコンテンツを提供。
 ・PowerPoint資料
 ・HP資料
 IT時代におけるオンデマンド授業の展開

提言【IT時代の日本文化研究】
インターネットのメリット

  • 時間と空間に制約を受けない

  • 参加しやすい

  • 流動性がある

  • 巨大なデータベースの構築が可能

  • 注目すべきは,[データベース]としての機能である。

    「教材公開」については大学間の連携が進んでいるが,
    研究レヴェルでのデータベース構築も重要な課題と言い得る。

    広域の調査研究が必要な説話伝承という分野では,
    インターネットを利用することで効率よく情報収集ができる。
    説話・伝承という貴重な文化情報を残すために,
    小学生でも簡単に投稿できるWebシステムの構築が必要では?


    物見塚

    物見塚 福岡県山門郡山川町の位置
    筑後と肥後との境である大津山の関北側(大宰府側)。
     大宰府から九州自動車道を南に下ると,
     左側に山々が連なり,やがて右側にも山が見え,
     狭間に入り
     そして第一の陸橋をくぐる。
     その陸橋の左側(東)に豊前街道大津山の関が残っている。
     現在,その地には「首切り地蔵」が祀られている。

    お地蔵様の首が落ちてしまった理由。
    ・明治時代の廃仏毀釈
    ・構造的に首のところが弱い。
     → 倒壊。
     → 雨が降って凍ると膨張し,首のところが破砕される。
     → 地滑り 

    地滑りに遭った平家ゆかりの神鏡・地蔵
    @ 熊本県玉名郡三加和町岩村 <松尾大明神神鏡>
       平家武将 荒巻大膳が勧請。
        松尾明神(白蛇さま信仰)は,
         立花町松尾大明神
         お牧山頂上(岩穴に白蛇様が祀られている)
        などがある。
        祝詞では,近隣の松尾大明神が読み上げられる。
        1993年頃(?)に山崩れに巻き込まれて土砂に埋もれた。
        神鏡を探したが,結局見つからなかった。

    A 谷軒タンノキ部落の上に祀られている地蔵尊。
      谷軒にはやんぼしさん(山法師)が正月に訪れるなど,
      「山の道」に通じている人々にとっては,有名な地であった。
      谷軒の加藤家には,薬草や秘密の呪文なども伝わっていた。

    B 物見塚の地蔵尊
      豊前街道沿いにある小高い丘。
      源平合戦の折りには,この上から平家の武将が指揮を執った。

    物見塚のお地蔵さま
    近隣の地蔵尊が,物見塚の下に集められた。

    物見塚のお地蔵さま 山川町物見塚
    大宰府まで落ち延びてきた安徳天皇は,
    大津山の関を閉ざされたために,
    ついにこの地を踏むことはできなかった。

    緒方維義に急襲された平家一党は総崩れとなり,
    多くは南へ逃げた?

    緒方勢は,瀬高清水寺を焼き,
    待居川(平家が源氏を待ちうけたことによる命名)で
    源氏を待つ。
    雲霞の如く押し寄せる源氏方を
    平家武将たちは,この丘の上から見た。
    (障子岳からも,北方の偵察を行っていた)
    そして,決戦に。
    そのとき,平家方の指揮所となったのが
    この物見塚であった。

    源平の合戦があったとされる河川敷の南側に
    小高い丘があり,現在,天満宮が建っている。
    豊前街道は,この丘のすぐ東側を通っている。

    天満宮は,長久3年(1042年)建立と伝えられる。
    判明している限りでは,この神社が山川町で最古とされる。
    産土神が脇に建っている。
    物見塚の上に聖性を帯びたモニュメントがあったかどうか,
    現在の所不明である。
    「塚」のうえに天満宮がのっている可能性もある
    河川敷側の頂上は整地され,ゲートボール場になっている。
    行者塚や地蔵堂があったのかもしれない。


    岩村:六地蔵

    岩村:六地蔵 三加和町岩村:2つの阿蘇神社
     三加和町岩村は,菊池一族の支配地。
      田業阿蘇神社長寛2年1164(創建は996?)
        大津山の関を閉ざした菊池隆直が勧請
      岩村阿蘇神社寿永2年1183
          平貞能家臣 荒巻大膳が勧請

         → 大津山(松風)の肥後側の和仁・岩村には,
           平家関係の史跡が多く残っている。

    2つの阿蘇神社が併存する理由は?
     阿蘇神社信仰圏は,平安後期以降に肥後国に勢力を伸ばす。
     多くは,街道の要衝に建っている。
       例:大津山阿蘇神社(南関)
         海津阿蘇神社(高田町)
     岩村阿蘇神社は,「岩」と命名されるほどに豊かではない土地に
     2つの阿蘇神社が併存しているという特異な形態になっている

     このことは,菊池隆直支配下のこの地に,
     平家方武将荒巻大膳が住み,繁栄したという歴史を踏まえている?

     その後,源氏方であった梶原一族(板東平氏)が
     「落人」になったこともあって,
     平氏の血筋を誇る伝承はさらに大切にされた?

       (1)菊池隆直は,安徳天皇方につくことを拒んだが,
       平氏方地侍を(積極的に?)受け入れている。
     (2)川沿いのこの道は,平山温泉があり江戸時代は賑わった。
      → 菊池川・豊前街道から
       湯治場の平山温泉に至る岩村川沿いの道には,
       地蔵堂などが建ち並んでいた。
       その名残を六地蔵などに見ることができる。
       平家・梶原伝説などの語りがあった?

    岩村:松尾神社
    土砂崩れで流されたため,仮の宮
    このような歴史が繰り返されて「今」がある!

    岩村:松尾神社 平家物語などに見える「潔く闘って死ぬ」という美学は,
    「物語」に昇華するときに必要とされた論理であって,
    在地の武将には通用しない?
    一族の運命を担っている以上,
    しぶとく生き延びて,
    勝ち組に乗り続けることこそ(里・山・海の)武士の本懐

    山・海・里に残る平家落人伝承は,
    生き残りをかけて闘った武将たちの歴史を背景に成立。

    そもそも,菊池隆直自身,
    平氏・源氏ともに中央から来た簒奪者として認識しており,
    勝てなければ従うが,ともに滅びる義理は感じていない。

    滅びの美学としての『平家物語』の中で平家落人伝承も流布した。
    その結果,熊本・宮崎の平家谷が有名になったが,
    生き残ることを肯定したもうひとつの平家語りがあった?
    → 山川町「谷軒」
    → 高田町「平」
    → 三加和町岩村 荒巻大膳
    → 柳川「六騎」
     その他,各地の平家伝承


    デーラのお地蔵さま
    「赤星」の悲劇となった河原から,巡礼の道はいよいよ山道へ
    山を越えたら吉野釈迦堂,そして三池へ
    このお地蔵様が,平の入り口を守る
    視線の先には,集落
    そして,現人神様の丘
    [平へ(付:画像)]

    平のお地蔵さま
    松風の関周辺の[山の道]
       山を越えるすべての道が,平家の里へと通じている!
    
    @桜峠を越えて,福岡県立花町鹿伏・桐葉
     ・戦前までは、交易のルート。
      鹿伏や桐葉から1日に2回ほど薪を運びあげる。
      翌日,桜峠から「まてご屋(「万里小路」に因む)」まで運び降ろして,
      馬市などで賑わっていた「広場」で売る。
      広場のある地の旧名は,「平家本」(ヘイケノホン)。
      平家塔が現存(築地原家管理)。
     ・豊前街道側から,桜峠を越えて松尾大社へ。
      この道は,子供たちの遠足コース。
    
    A山川町真弓の里を抜けて,熊本県三加和町和仁へ。
     ・この道の奥に,京風の地名が残る。
     ・万里小路藤房伝承がある。
     ・真弓の里は,昔話「はな垂れ小僧」で有名。
    
    B高田町平デーラから,
    福岡県大牟田市吉野釈迦堂へ。
     ・平は,平家の里。
      毎年,4月18日ころに,赤い幟を立てて現人神を祀る。
     ・釈迦堂は,平家の里。
     ・この道は,巡礼の道。
     ・三池から『赤星』の舞台を経て,清水寺へ。
    
     瀬高清水寺と三池普光寺は,円仁関係の寺。
     山の上に聖なる泉
      清水寺
      お牧山(谷軒)
      釈迦堂
      三池山(普光寺)
    

    平家本ヘイケノモトの平家塚

    「平家本」の平家塚

    旧地名「平家本(ヘイケノモト)」に祀られている平家塚。 築地原 正英氏が管理。 豊前街道の通る河川敷広場の前にある。 (川を越えた北側) 待居川・要川の河川敷には,閻魔大王とお地蔵様が祀られている。 川には,射的橋が架かっている。 このあたりは,江戸時代に馬市などで賑わった。 鉄道が通ったときに移築されている。 平家塚の中は調査されていない。 河川敷には,「万里小路藤房の墓」もあった? 藤房伝承は,高田町亀谷や真弓の奥にもある。 万里小路藤房伝承のある亀谷の竹藪は, 古い墓所であって,五輪塔などが残っている。 築地原家の前に建つ「マテゴ屋」は, 「万里小路(までのこうじ)」に因む屋号。 (藤房については,別稿を準備中) 待居川(要川が注ぎ込む)の南側に 平家の伝承が集中している?


    山川町:天保古平家一本桜

    天保古平家一本桜 【以下の資料は制作中】


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