コード ケン マチ   メイ 関係カンケイ事項ジコウ 登場トウジョウ人物ジンブツ ウチ             カタチ
1001 熊本クマモト 天草アマクサ 有明町アリアケチョウ タイ   タイ重盛シゲモリ 源平ゲンペイ合戦ガッセンヤブれたタイ重盛シゲモリシタウラにきた。その,ギオンヤマカクれた。そこを,「タイ」とぶようになった。
1002 熊本クマモト 天草アマクサ リュウダケマチ 大道オオミチ 瀬戸セト 平家落人 ダンウラ合戦ガッセンヤブれた平家ヘイケグンは,九州キュウシュウ四散シサン
一部イチブは,天草アマクサ上島ウエシマシタシマ東海岸ヒガシカイガンヒソめた。
1003 熊本クマモト 天草アマクサ リュウダケマチ 大道オオミチ アカサキウラ 平家落人 源氏ゲンジガタは,天草アマクサノガれた平氏ヘイシ掃討ソウトウタタカいがハジめた。平氏ヘイシ海戦カイセンイドんだ。源氏ゲンジは,リクカイ二手フタテからせる。第二ダイニダンウラタタカいも源氏方ゲンジガタ勝利ショウリとなった。瀬戸セト平氏ヘイシ死体シタイフサがり,源氏ゲンジグンうことができなかった。
1004 熊本クマモト 天草アマクサ リュウダケマチ 横島ヨコシマ   平家落人 赤崎アカサキウラタタカいでヤブれた平氏ヘイシ武将ブショウたちは横島ヨコシマ上陸ジョウリクし,そこにんだ。イシホコラノコっている。
1005 熊本クマモト 天草アマクサ リュウダケマチ 大道オオミチ 瀬戸セト 平家落人 アメにはアヤアラワれる。これは,アカサキウラタタカいでんだ平氏ヘイシ亡霊ボウレイである。
1006 熊本クマモト 天草アマクサ リュウダケマチ 大道オオミチ 瀬戸セト 平家落人 瀬戸セトを,「フサぎの瀬戸セト」とぶ。そのいわれは,ここで源氏ゲンジ平氏ヘイシとがタタカい,死亡シボウした平氏ヘイシグン死体シタイによって瀬戸セトフサがったからである。
1007 熊本クマモト 天草アマクサ リュウダケマチ 大道オオミチ クラダケイワ 平家落人 天草アマクサ第一ダイイチ高峰コウホウクラダケ巨大キョダイ岩石ガンセキがあり,その北面ホクメンは3ジョウほどのになっていて巨石キョセキ屋根ヤネのようにカブさっている。ここは,平家ヘイケカクんだトコロであり,ショアトわれる。
1008 熊本クマモト 天草アマクサ リュウダケマチ 大道オオミチ アカサキ 大将タイショウ フサぎの瀬戸セト」のタタカいでにした平氏ヘイシ大将タイショウハカが,赤崎アカサキ東側ヒガシガワ山中サンチュウにある。「とんのハカ」とばれている。「とん」は「殿ドノ」である。
1009 熊本クマモト 天草アマクサ リュウダケマチ 大道オオミチ 松ヶ鼻マツガハナ マツヒメ 平家落人が芦北アシキタから天草アマクサトウびるとき,マツヒメという身分ミブンタカ武将ブショウヒメ同行ドウコウしていた。フネ大道ダイドウ南方ミナミガタたときついに息絶イキタえたので,ミサキ遺体イタイをおろした。それ以来イライ,そのミサキを「松ヶ鼻マツガハナ」とぶようになった。
1010 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ アラシグチ 梅戸ウメド マツヒメ マツヒメ源氏ゲンジ多田タダ蔵人クロウドツナムスメであり,絶世ゼッセイ美人ビジンであった。薩摩サツマ名護ナゴから天草アマクサまでノガれてきた。フナイクサとなり,チチツナとともに
1011 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ アラシグチ 梅戸ウメド マツヒメ 黒田家の先祖が梅戸の山に入ったとき,渚の方で声がする。行ってみると,戸板の上に美人の首が乗っていた。鈴虫スズムシのようなコエウタいだした。そこでホコラててマツった。
1012 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ アラシグチ 御所ゴショウラシマ 俊寛シュンカンなど 鹿シカタニヘンにより,藤原フジワラオヤ俊寛シュンカンタイヤスタノオニカイシマ硫黄イオウトウ)にナガした。しかし,実際ジッサイナガされたのは御所浦ゴショウラシマであった。
1013 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ アラシグチ 瀬戸セト目崎メサキ ミナモトツナ 鹿シカタニヘン密告ミッコクにより平氏ヘイシせたミナモトツナは,平氏ヘイシ残党ザントウとともに天草アマクサ御所ゴショウラノガれた。瀬戸セト目崎メサキツナハカノコる。
1014 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ アラシグチ 瀬戸セト目崎メサキ ミナモトツナツマ ミナモトツナツマは,フサぎの瀬戸セト赤崎アカサキフナイクサウミシズんだ。西ニシサキナガいて,ナギサヨコたわっていた。そこにてて「若宮ワカミヤサマ」とづけウヤマった。
1015 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ ヨコシマ 弁慶ベンケイヤマ 弁慶ベンケイ 弁慶ベンケイヤマは,弁慶ベンケイがこのシマんだことに由来ユライする。
1016 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ 牧島マキシマ 長浦ナガウラ 義経ヨシツネ 義経ヨシツネ牧島マキシマ長浦ナガウラフネカクしていたので,そこを「フネカクし」という。
1017 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ 横浦ヨコウラシマ 与一ヨイチウラ 那須ナス与一ヨイチ 牧島マキシマ那須ナス与一ヨイチがやってきたので,東側ヒガシガワを「与一ヨイチウラ」とづけた。
1018 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ 牧島マキシマ 頼朝ヨリトモ ミナモト頼朝ヨリトモ 与一ヨイチウラ」から「横浦ヨコウラ」へえるトウゲミチを「頼朝ヨリトモえ」という。
1019 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ 牧島マキシマ 弁慶ベンケイヤマ 弁慶ベンケイ 弁慶ベンケイヤマ頂上チョウジョウには,9ニン平家ヘイケ落人オチウドハカがある。
1020 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ 牧島マキシマ 長浦ナガウラ 平家ヘイケ落人オチウド 長浦ナガウラの「フナカクし」は,平家落人がカクんだところである。
1021 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 御所浦町ゴショウラマチ 牧島マキシマ 長浦ナガウラ 平家ヘイケ落人オチウド 平家落人は,ヤマウエ見張ミハりをいた。その場所バショを,「二度ニドウラ」とんでいる。
1022 熊本クマモト 天草郡アマクサグン クラダケマチ 宮田ミヤタ 境目サカイメ古墳コフン 安徳アントク天皇テンノウ 境目サカイメ国道コクドウヨコオカに「鬼塚オニヅカ」がある。これは,平家ヘイケ落人オチウドハカである。安徳アントク天皇テンノウハカともいわれている。
1023 熊本クマモト 天草郡アマクサグン クラダケマチ 宮田ミヤタ 木津キヅハラ 源義経ミナモトノヨシツネ 源義経ミナモトノヨシツネは,頼朝ヨリトモ勘気カンキにふれて追討ツイトウされ,天草アマクサトウ宮田ミヤタムラノガれてきた。
1024 熊本クマモト 天草郡アマクサグン クラダケマチ 宮田ミヤタ 木津キヅハラ 源義経ミナモトノヨシツネ ミナモト義経ヨシツネは,3ニン子供コドモんだ。木津キヅハラ大宮オオミヤ西ニシハラにわけてんだのが宮田ミヤタハジまりである。
1025 熊本クマモト 天草郡アマクサグン クラダケマチ 宮田ミヤタ 木津キヅハラ 源義経ミナモトノヨシツネ 大宮田オオミヤタ中村ナカムライエには,弁慶ベンケイ文書ブンショホンがある。
1026 熊本クマモト 天草郡アマクサグン クラダケマチ 宮田ミヤタ 木津キヅハラ 弁慶ベンケイ 弁慶ベンケイんでいたところから,金塊キンカイた。
1027 熊本クマモト 天草郡アマクサグン クラダケマチ 宮田ミヤタ 木津キヅハラ 弁慶ベンケイ 十五15シャミヤ弁慶ベンケイ再建サイケン
1028 熊本クマモト 天草郡アマクサグン クラダケマチ 宮田ミヤタ 木津キヅハラ 弁慶ベンケイ 代々ダイダイ庄屋ショウヤをつとめた中村ナカムライエは,弁慶ベンケイ末裔マツエイである。
1029 熊本クマモト 天草郡アマクサグン クラダケマチ タナゾコ けさがウラ おけさ 平家落人のムスメおけさは,タコをつけ毎日マイニチホンずつカマってべていた。最後サイゴ一本イッポンカマっていかなかった。たこは,おけさをウミんだ。おけさのは,毎日マイニチハハシタっていていた。
1030 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 栖本町スモトマチ 山浦ヤマウラ リュウクチ 佐藤サトウシン リュウクチ佐藤サトウは,平家ヘイケ落人オチウド佐藤サトウシン佐藤サトウ経信ケイシン佐藤サトウ唯信タダノブ末裔マツエイである。ムカシは,乗馬用ジョウバヨウウマ,さらにカタナヤリっていた。
1031 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 栖本町スモトマチ   ハマ集落シュウラク 平家落人 ハマ集落シュウラク突端トッタンを「ドブネ」という。ここには,平家ヘイケ落人オチウドハカが3〜4ハタケナカノコっている。
1032 熊本クマモト 本渡市ホンドシ 下浦シモウラチョウ モリミサキ モリ古墳コフン ミナモトツナ 石碑セキヒホトケガミサマ」のたっているとこは,ミナモトツナ居住キョジュウアトである。ツナは,平氏ヘイシ敗退ハイタイにより,このノガれてきた。
1033 熊本クマモト 本渡市ホンドシ 下浦シモウラチョウ   シキジマ ミナモトツナ 源行綱がノガれてきたシマ
1034 熊本クマモト 本渡市ホンドシ クスウラマチ 下浦シモウラ ツカシマ ミナモトツナ 源行モトユキ綱が,シキジマからノガれてきた。源氏ゲンジタタカったが,部下ブカオオくはをした。そのため,ツカシマぶようになった。
1035 熊本クマモト 本渡市ホンドシ 下浦シモウラチョウ モリミサキ モリ古墳コフン ミナモトツナムスメ ミナモトツナムスメツマ?)のマツヒメとともにこのノガれてきて,カクんだ。9ガツ20祭礼サイレイオコナう。
1036 熊本クマモト 本渡市ホンドシ 下浦シモウラチョウ モリミサキ モリ古墳コフン ミナモトツナ 源行綱由来ユライケンヤリとが発掘ハックツされた。ケン行方ユクエ不明フメイになった。ヤリは,青年セイネン管理カンリ
1037 熊本クマモト 本渡市ホンドシ 下浦シモウラチョウ モリミサキ モリ古墳コフン ミナモトツナ 源行綱由来ユライツボ発掘ハックツされた。古墳コフンマモっていた石井イシイツマウミアラったところ,ウミイロわった。
1038 熊本クマモト 本渡市ホンドシ 下浦シモウラチョウ   平家ヘイケ 平家ヘイケ落人オチウド 源平ゲンペイ合戦ガッセンヤブれた平家ヘイケ落人オチウドが,フネをつけたところ。カクれていた。源氏ゲンジは,天草アマクサまでサガしにきた。
1039 熊本クマモト 本渡市ホンドシ クスノキウラマチ カタハラ カタハラカワ 浦上ウラガミキヨヘイ カタハラカワマツリフチ上流ジョウリュウを開拓をしたのは,浦上氏である。イマも,他氏タシとはチガった祭礼サイレイイトナんでいる。
1040 熊本クマモト 本渡市ホンドシ 宮地ミヤジダケ 長迫ナガサコ カタハラカワ やんぼしさん やんぼしさん(平家ヘイケ落人オチウド)が祈祷キトウをしたりエキたりして村人ムラビトから感謝カンシャされていた。あるとき,帽子ボウシダケフモトコロされているのがつかった。村人ムラビトは,若宮ワカミヤとしてマツった。キュウガツ28命日メイニチである。
1041 熊本クマモト 本渡市ホンドシ クスウラマチ カタハラ カタハラカワ 浦上ウラガミキヨ兵衛ヒョウエ 平家ヘイケ落人オチウド浦上ウラガミキヨヘイカタハラガワサカノボり,このヒラいた。キヨヘイハカは,イマノコっている。
1042 熊本クマモト 本渡市ホンドシ クスウラマチ カタハラ カタハラカワ 浦上ウラガミキヨ兵衛ヒョウエ 開祖カイソキヨヘイは「きりあけどん」とばれている。カタハラの「マツリフチ」までくるとタキフチ大蛇ダイジャがいて,トオることができない。そこで,子々孫々シシソンソンアキれのにしとぎと甘酒アマザケソナえることを約束ヤクソクしてトオしてもらった。
1043 熊本クマモト 本渡市ホンドシ   カタハラ カタハラカワ 浦上ウラガミキヨ兵衛ヒョウエ 「きりあけどん」のイエは,現在ゲンザイ浦上ウラガミタイさんのところである。
1044 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 苓北レイホクチョウ 木場キバ ミヤコカワ 平家ヘイケ落人オチウド 木場キバタケミヤコカワのほとりに,フルぼけたツカがある。これは,平家ヘイケ落人オチウドがここまでナガれてきてなくなってきたためにキズいたものである。
1045 熊本クマモト 天草郡アマクサグン 苓北町レイホクマチ 富岡トミオカ 鳥越トリゴエ 弁慶ベンケイ 鳥越トリゴエハタケナカ巨石キョセキがある。このイシのくぼみは,弁慶ベンケイ手形テガタである。弁慶ベンケイ富岡トミオカたときに,関取セキトリ力比チカラクラべをした。関取セキトリげることができなかったが,弁慶ベンケイ右手ミギテ軽々カルガルげた。そのときのアトである。
1046 熊本クマモト 牛深市ウシブカシ ウオツラヌマチ フク 里浦サトウラワン 山口ヤマグチ五郎ゴロウヒダリモン 平家ヘイケ落人オチウド里浦サトウラワンノガれてきて,「カク」に上陸ジョウリク。そこからフクいた。先祖センゾ名前ナマエは,山口ヤマグチ五郎ゴロウヒダリモンという。平家ヘイケブシ多数タスウ同行ドウコウしていた。
1047 熊本クマモト 牛深市ウシブカシ ウオツラヌマチ   里浦サトウラワン 平家ヘイケ落人オチウド 平家ヘイケ落人オチウドカクんだため,里浦サトウラワンを「カク」とんでいる。この付近フキンからは,フルカタナカブト発掘ハックツされたことがある。
1048 熊本クマモト 牛深市ウシブカシ ウオツラヌマチ   ナカウラ 平家ヘイケ落人オチウド 平家ヘイケ落人オチウドフネカクしたところである。
1049 熊本クマモト 牛深市ウシブカシ フカウミマチ 下平シモヒラ スガ 平家ヘイケ落人オチウド 平家ヘイケ落人オチウドが,芦北アシキタからノガれてきた。そこを,イマでは「屋敷ヤシキのくぼ」とんでいる。
1050 熊本クマモト 牛深市ウシブカシ フカウミマチ 下平シモヒラ ハシラダケ 平家ヘイケ落人オチウド 平家ヘイケ落人オチウドがこのヤマナカんだが,悪者ワルモノのために下平シモヒラいやられた。落人オチウドたちは,「ドウ」にカクれた。そこで,このを「水道スイドウ」(みど)とぶようになった。
1051 熊本クマモト 牛深市ウシブカシ フカウミマチ 下平シモヒラ   平家ヘイケ落人オチウド 水道スイドウ」にいつめられた平家ヘイケ落人オチウドは,いつめられて下平シモヒラテラカクれた。そのを,「テラセマ」とぶ。
1052 熊本クマモト 牛深市ウシブカシ フカウミマチ 下平シモヒラ   平家ヘイケ落人オチウド 落人オチウド一族イチゾクは,下平シモヒラから鹿児島県カゴシマケン長島ナガシマへ,ツルギててオヨいでげていった。ケンてたところを「ツルギサキ」という。
1053 熊本クマモト 牛深市ウシブカシ 河浦カワウラマチ 宮野ミヤノ 河内カワチ 三宅ミヤケイエ 平家ヘイケ落人オチウドウミワタっていた。そのとき,フネ座礁ザショウした。「つがね」の大群タイグンアラワれ,あわでフネかせてくれたのでナンノガれることができた。それ以来イライ三宅ミヤケ人間ニンゲンは「つがね」をべない。
1054 熊本クマモト 牛深市ウシブカシ 牛深ウシブカマチ 宮崎ミヤザキ ナミダガワ 弁慶ベンケイ 弁慶ベンケイ牛若丸ウシワカマルヤブ牛草ウシクサ辿タドいた。宮崎ミヤザキイワウエクヤナミダナガした。そのナミダカワになったので「ナミダガワ」とばれるようになった。このミズむと,子供コドモ